第5回Nuclear Abolition Dayを開催(2014年6月15日)

2014年6月15日、今年も当会主催のNuclear Abolition Day(核兵器廃絶国際行動デイ)が、第27回総会記念企画として開催されました。2010年の国連NPT再検討会議開催直後から毎年開催しており、今年で5回目を迎えました。

今回は、「ビキニ被災から60年。核被害の実相を知り、語り継ぐ」をテーマに、第1部ではビキニ事件の真相に迫ったドキュメンタリー映画「~放射線を浴びた~X年後」の上映、第2部では東京都立第五福竜丸展示館学芸員の市田真理さんに、核実験場となったマーシャル諸島の人々はいま、第五福竜丸以外の被災について日米の資料をもとにお話しいただきました。

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◆第1部 ドキュメンタリー映画「~放射線を浴びた~X年後

1954年3月1日、第五福竜丸は太平洋ビキニ環礁近くでマグロ漁をしていました。午前6時45分、「太陽が西から上ってきた」。そう錯覚するほどの強烈な光と轟音、その後降りかかってきた正体不明の白い粉。それは広島型原爆の千倍もの爆発威力をもつアメリカの水素爆弾「ブラボー」の爆発でできた死の灰でした。

米国はその年の5月までに、「キャッスル作戦」と称して、ビキニ環礁とエニウェトク環礁で「ブラボー」を含む合計6回の水爆実験を行い、その被害を受けた延べ1000隻もの船に放射能が検出され、乗船した多く船員が放射線障害と思われる病気で亡くなっています。しかし、日本政府は、米国から賠償金ではなく「見舞金」として200万ドル(当時の為替レートで7億2000万円)を受託し、ビキニ事件に関する米国の責任を一切問わないという政治決着を付けました。そして、第五福龍丸以外の被ばく=もう一つのビキニ事件は、人々の記憶や歴史からも消し去られていきました。そして今なお、誰一人として「被爆者」と認められないまま、60年の間に多くの命が失われていきました。

南海放送(愛媛県松山市)が約8年にわたる丹念な取材を通してもう一つのビキニ事件の真実に迫ったドキュメンタリー。参加者からは、「この事実を初めて知り、衝撃を受けました」「アメリカや日本政府の人の命を軽んじる体質の酷さを思い知らされました」「福島の原発事故で原因を隠し続けているのと同じ。福島でも同じように被害者に補償しないということが起こるのではないかと思ってしまう」というような感想が寄せられました。また、ぜひこの映画をより多くの人に知らせたいということで、参加者が上映会を企画する動きも生まれています。

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◆第2部 講演会「第五福竜丸は航海中」

講師:都立第五福竜丸展示館学芸員の市田真理さん

第2部では、東京都立第五福竜丸展示館学芸員の市田真理さんに、核実験場となったマーシャル諸島の人々はいま、第五福竜丸以外の被災について日米の資料をもとにお話しいただきました。以下は、市田さんの講演要旨です。

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 1.都港湾労働組合の分会ニュース

いきなりアンケートです。第五福竜丸展示館行かれたことがある方はどれくらいおいでるでしょうか? 結構いらっしゃって素晴らしいです。東京ディズニーランドに行く2駅手前が私どもの展示館です。一昨年に通算来館者数が500万人を越えました。私はこの船が捨てられていた67年に生まれました。江東区の夢の島に廃船処分になって捨てられていたのです。

夢の島というとゴミの島という印象が強いと思います。この船は元々は木造船なのですが、甲板より上は鉄製に改造され、船名も「はやぶさ丸」と変わっていたのです。一見してあの船だとは分かり辛かったのですが、都港湾労働組合の分会ニュースで「廃船処分になって捨てられている」と知らされて以来、見に来る方が増え、このゴミの中から何とかこの船を守ろうじゃないかということで、保存運動が始まったのです。船が沈みかけた時にバケツで排水したり、台風の晩、徹夜で見守った方たちがいました。それは「とにかく水爆実験の生き証人なので、板切れ一枚でも残したい」との思いからでした。

 2.ビキニ水爆実験から60年

60年前の話をさせて頂きます。「ブラボー」というのは米国がビキニ環礁で行った核実験のことです。米国は一つひとつの実験にこのような名前を付けていたのです。勿論、全くブラボーではありません。広島型原爆の1000倍です。誰に向かって使うつもりだったのでしょうか。

第五福竜丸の乗組員たちは実はキノコ雲を見ていません。見えたのは色と光だけだったのです。船員が作業を終え船室で休んでいた時に突然、西の空が明るくなったのです。「西から太陽が上がったのか?」「隕石か?」と薄気味悪いと感じたそうです。「夕焼けのような光が拡がり、光が止まり、黄色っぽくなり、そして闇が戻った」と大石又七さんは語りました。そして光を見た八分後、「ドドド」という地鳴りが響いてきたそうです。これで約160㎞離れていたことが分かります。漁労長の「縄上げろ」指示で作業しながら、急ぎ日本に針路をとりました。

ところが天候が乱れて雨が降り出したのです。大石さんが見たのは、船に覆いかぶさってくる大きな雲の塊でした。風上にいるのに何故か船に向かって押し寄せてきたそうです。ヒロシマでは黒い雨が降ったのですが、この時は白い灰のようなもの(放射性降下物)が混じっていたのです。それは体に当たるとチクチクと痛いもので、気がつくと甲板に足跡がつくくらい降り積ったそうです。

その日のうちに少しの吐き気や頭痛や食欲減退が起きました。しかし弱音を吐けない漁師魂で、お互いに言えない状態だったそうです。ところが数日経つと白い雨に当たったところが火傷の跡のようになり、髪の毛がまとめて抜け落ちたのです。急性放射能症でした。

3.放射性降下物、死の灰を浴びる

福竜丸は小型船で、7ノットしか出ません。焼津まで2週間かかったのです。つまりその間、放射性降下物とともにあったのです。しかしまだ戦後9年で当時、ヒロシマやナガサキのことはまだ情報規制がされていて、国民は何も知らされていませんでした。ただ医師は「ピカを見たのでは?」と語ったそうです。これが3月16日の世紀の新聞スクープ〝邦人漁夫、原爆実験に遭遇〟につながるのです。漁夫は今の単位でいうと2000~3000㎜㏜、つまり半致死量に当たるものを浴びたのです。

 4.全国では850隻を超える船が被害に

当時の石川の地元紙を調べると、「昨日金沢に被爆魚二尾入荷」「金沢大学に持ち込み…」「汚染魚は廃棄魚雷のような姿で…」「野田山に埋めた」とあります。決して焼津だけの事件ではなかったのです。築地ではセリの最中に連絡が入り、セリ止めとなって全て土中処分されました。全国では850隻を超える船が被害に会って全てを廃棄処分にするなど、悔しい思いをしたことを忘れてはいけないと思います。

「ブラボー」は34,000㍍まで原爆雲をせり上げ、死の灰の粒の比較的大きなものは海面まで落ちてきましたが、小さな粒子はジェット気流に乗って地球を回り、雨となって降りました。こんなことは冗談ではないという思いが原水爆禁止運動の原点となっていくわけです。

 5.ビキニ事件は原水爆禁止運動の原点

展示館には乗組員の方たちへのお見舞いの手紙が約3,000通残されています。久保山愛吉さんの容態悪化とともに全国から送られてきたものです。このような不幸があってもなお、米ソは原水爆実験を繰り返し、日本政府は米国の要請を受け、12月末をもって全国18の港で行われていた検査を打ち切ってしまいました。その理由は「放射能は直ちに人体に影響が出るものではない」というとんでもないものでした。よって翌年から汚染魚ゼロということになっています。全くのデタラメです。

消費者としてできることは、こういった経緯を忘れず、せめて検査の継続を要請し、その結果を公表させるよう言い続けなくてはなりません。そうしないとビキニ事件の歴史から学んだことにならないと思います。それが2,000回を超える核実験があり、今なお17,000発の核兵器の現状のなかで、応える人の在り方だと思います。

 6.核実験場になったマーシャルの住民たち

核実験場になったマーシャルのことを述べます。写真には深い青色になっている海が見えます。しかし何故ここが青くなっているかといえば、「ブラボー」によって抉(えぐ)られているからなのです。5回目の「ヤンキー」(ふざけた名前!)では風向きの関係で日本に直接、死の灰が降り注ぎました。グローバルフォールアウトだご理解いただけると思います。同じ160㎞の位置にロンゲラッブ環礁がありますが、そこの住民たちは避難させられずに〝日本に降る雪〟として死の灰をかぶりました。何も知らされず人体実験させられたのです。実験後50日たって米軍に収容され、3年後に島に戻った住民は奇怪な恐ろしい風景を見、健康障害に苦しみました。そしてロンゲラッブの女たちは異常な自然や異常出産の実態を国際世論に訴えました。「グレープベイビー」「ジェリフィッシュベイビー」という言葉ほど悲しいことはありません。そしてロンゲラッブの人たちは放射能汚染レベルが5段階で4~3というデータを米軍が82年に突然出した時、島の人たちは〝子どもたちの未来のために〟最終的に放射能汚染された島を捨てるという苦渋の決断を下したのです。

7.政治決着で〝この事件は終わった〟

政治決着で200万ドルのお金が日本政府に支払われました。これは損害賠償ではありません。「公的な責任は伴わない」という一言が入っているのです。日本政府に全額丸投げで支払い、業界団体などに配分されただけなのであって、一軒一軒に補償したわけではないのです。ところが第五福竜丸の船員には一人当たり200万円の見舞金が支払われました。そうすると一斉に退院させられて〝被曝者はいない〟〝この事件は終わった〟となったのです。そして故郷に帰ったら「あんたらうまいことやったね」と言われ、それで大石さんも二度と海の男に戻れなくなったのです。

 8.私は〝語り継ぎ部〟でありたい

大石さんは東北大震災の二週間前に「私たちは危険と隣り合わせにいるのです。気づくなら今ですよ」と予言のように仰り、「自分が怒り続けなければ、黙って死んでいった人たちに申し訳ない」と語りました。そして「あの戦争も原発事故もビキニ事件も、誰かが責任を取るのでしょうね」と大江健三郎さんに語りかけたら、「誰も責任を取らないでしょうね。それがこの国です。」との答えでした。

大石さんは病から立ち直られ現在、講演活動を再開しつつあるのですが、私は失礼ながらご本人の前で「この人には時間がないのです」と申し上げています。かけがえのない語り部だからです。そして私はその〝語り継ぎ部〟でありたいと考えているのです。ぜひ皆さんもそうあっていただきたいです。

この船はゴミの中から救い出され、今は建物の中に保存され、二度と船出することはありません。でも第五福竜丸は『核のない未来に向かって航海中』なのです。どうぞ皆さんもこの航海にご一緒しましょう!(大きな拍手) (非核の政府を求める石川の会より転載)

 

◎ビキニ水爆実験被爆者 大石又七さんから寄せられたメッセージ

大石

第5回Nuclear Abolition Dayにお寄せいただいたメッセージ(クリックすると拡大します)

 

 ◎ビキニ被災船員の「核被害調査・研究活動」に募金集まる

ビキニ事件の真相究明を続けている山下正寿さん(映画「X年後」にも登場)が事務局長されている太平洋核被災支援センターでは、ビキニ事件被災船員の核被害調査・研究活動を行っています。活動支援のために、上映会参加者に募金の呼びかけをしたところ、67,420円集まり、太平洋核被災支援センターに送金しました。山下さんからは、「厚生労働省交渉の交通費として活用させていただきました。ありがとうございました」とのお礼のメールをいただきました。

ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。

 

核戦争を防止する石川医師の会 第27回総会記念企画

第5回Nuclear Abolition Day (核兵器廃絶国際行動デイ)

▼とき 2014年615日(日) 13時半~16時半

▼ところ 石川県女性センター・ホール

▼内容

第1部 ドキュメンタリー映画 「~放射線を浴びた~X年後」 上映会

第2部 講演会 「第五福竜丸は航海中」

               講師 市田真理さん (都立第五福竜丸展示館学芸員)

▼チケット

大人1,000円、 高校生以下、無料。

 (剰余金の一部は当会が行っている『はだしのゲン』寄贈運動の資金として活用させていただきます)

▼主催

核戦争を防止する石川医師の会

▼後援

石川県原爆被災者友の会、石川県生活協同組合連合会、石川県保険医協会、石川県民主医療機関連合会、九条の会石川医療者の会、生活協同組合コープいしかわ、野々市市教育委員会、NPO 法人「はだしのゲン」をひろめる会、非核の政府を求める石川の会

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後日、講師の市田真理さん (都立第五福竜丸展示館学芸員)よりご連絡をいただき、第5回Nuclear Abolition Dayに参加された複数の方が第五福竜丸展示館を訪れたことがわかりました。皆さんも訪れてみませんか?

 <東京都立第五福竜丸展示館

東京都江東区夢の島2丁目1-1夢の島公園内
TEL:03-3521-8494 FAX:03-3521-2900 ホームページ http://d5f.org/

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